調査研究の過程で収拾がつかなくなって、「自分はいったい何をやっているのだろう」と不安になることがあります。そんな時、とにかく“結論”を出そうと焦っていませんか。情報収集の現場からひとまず離れ、記録、資料とじっくりと向き合う時間をつくりましょう。これまでに何をしてきたのか、一度書き出してみます。
「分かった!」と思うことによって、考察をやめてしまうことがあります。自分の分析、解釈を吟味するためにも、データを丁寧に提示しましょう。分析のもととなる資料を開示することで、第三者からの異なる視点、分析、解釈を引き出すことができます。記録と向き合い、情報を資料化し、データを提示し、人と議論を重ねる過程で、改めて次の調査課題が見えてきます。ゼミナールの発表やレポート、論文についてのコメントを、そのときには納得ができなくても、大切にとっておきましょう。数日後、数ヵ月後、人生のある局面で、思い出し腑に落ちることもあります。
探索という行為に終わりはありません。だからこそ、節目、区切りを意識し、その段階までのまとめが必要となります。それは、早急に結論をだし決着をつけることではありません。調査研究の限界や不明な点を認識し、新たな疑問を見出すことも重要なポイントです。途中だからこそ「かたち」をつくり発信し、調査研究を展開する可能性をつなぎましょう。論文も発信のひとつのかたちです。論文には、専門分野によるそれぞれの書き方のマナーやルールがあります。
発信とは、受け手を想定した行為です。同じ内容であっても、学問領域の専門家に向けて書く論文と、特定の業界をこえたより広い層の人々に伝える作品とでは、かたちは異なります。どのようなメディアを利用して、誰にたいして何を伝えたいのか。制作、発信、流通にどれほどの費用をかけそれをどう調達するのか。フィールドワークにもとづいて書かれた報告書も、研究成果がそのまま本になるわけではありません。どのような“商品”として販売するのか、さまざまな検討がなされます。内容だけでなく、作品が制作、発信されるプロセスと戦略を読みとるのも、フィールドワークを学ぶ方法です。
ひとつの情報は、文脈によって多面的な解釈が可能です。相手の了承をえて公表した事であっても、それが意図していなかった問題を引き起こすことがあります。また、作品の制作側の目的と、描かれた人々、社会の思惑や意図は、必ずしも一致しません。さらに不特定多数の読者も、個々人の関心や専門、経験などによって、その作品の読み方は異なります。「伝える」ためには、その影響にたいする細心の配慮と想像力、制作者としての意志と責任、さまざまな思惑の齟齬を受け止め対応していく覚悟も必要となります。
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